夏の合宿やらキャンプなどで誰もが体験したことがあるだろう。
ひとつひとつお化けや妖怪などの恐い話を順番に語っていき、百回目の物語を語り終えたとき、何か恐ろしいことが起こるという「百物語」を。
物語は、ひとつ怪談話が終わるたびに1本1本ロウソクの火を消していった小学校の夏季合宿に始まる。
主人公は、その百番目の語り手。
そして、順番がやってきたとき、彼はこう語った。
「僕には人に語れるような物語がありません」と......。
内藤裕敬率いる史上最強・南河内万歳一座が、今回見せてくれたのは、90年に上演した「百物語」のリメイク版。タイトル通り、今月いっぱいでその幕を閉じることになった「阪急オレンジルーム(阪急ファイブ8F)」へのオマージュ的作品だ。
といっても、よほどの演劇通でなければ、この作品の持つ意味を理解出来ないだろう。というのは、このオレンジルームこそ関西における小劇場演劇ブームを本当に支えてきた唯一の劇場だったのだ。
最近では、扇町ミュージアムスクエアが関西小劇場の登竜門的空間として知られているけど、十数年前はオレンジルームがその役割を果たしていた。てか、そもそもオレンジルームしかなかった。
つまり、この南河内万歳一座をはじめ、古田新太らが所属する劇団☆新感線など現在活躍中の多くの劇団はオレンジルームを拠点に活動し、大きく育っていったというわけなんである。
ちなみに、オレンジルームがオープンしたのは78年。
文字どおり関西演劇界の80〜90年代を背負ってきた劇場だ。
南河内万歳一座は、過去11年間で本公演を13回上演。まさにオレンジルームは古巣のようなものだともいえる。
「最初の頃からオレンジでやってきたわけだから寂しいよね。どうしようも出来ないんだけど。でも、オレンジがなくなったからといってオレンジから出てきた芝居がなくなるってことはない。僕らはオレンジルームっていう六畳一間から次のアパートに引っ越すというだけ。もちろんいままで住み慣れたところだから、やっぱり懐かしいけど」とは、内藤裕敬氏の言葉。
また、だからこそ"引っ越し"がテーマである「百物語」を最後に上演するという。
もし、恐い話を百話語り終えると何か恐ろしいことが起こるというのなら、生活や人生や恋愛の話を百語り終えたときに、一体何が起こるのだろうか......。
きっとこの舞台では、オレンジルームで生まれた百の物語の次の未来が描かれるに違いない。
※1994年当時、Webマガジン「SURUMEDIA(スルメディア)」に掲載したレビュー原稿を再編集して掲載しています。
