やっと見た「ディープ・インパクト」

1998 年 8 月 30 日

今夏は誰もがハリウッド版「ゴジラ」なんだろうけど、
やはりその前に「ディープ・インパクト」を観ないとあかんだろ。

というわけで、やっと観ることができた。

泣けるというから期待していったけど、結末があっさりすぎたという感じ。

どーもここ数年のハリウッド映画ってのはシーケンスに分解すると、起承転結の”結”に当たる部分がほとんどないわけだけど、カタルシスを生み出すためのストーリー構築がちょいと甘かった気がする。

まぁ、観る前に「メテオ」と「アステロイド〜完全版」という勧善懲悪モノに近い小天体衝突映画を観たためかもしれないけど、デキ損ないの”グランドホテル形式”というイメージだな。

ちなみに、グランドホテル形式ってのはシナリオ形式のひとつで、映画「グランドホテル」がそのキッカケだ。まぁ、人にはそれぞれ人生(事情)があるわけだけど、それをホテルの中に押し込めまとめて語ってしまおうという贅沢な手法である。

それに”駅馬車形式”というものもあるんだけど、別名で”動くグランドホテル形式”と呼ぶ人も多く、予想通り映画「駅馬車」がそのキッカケ。

ほんで、この「ディープ・インパクト」の予備知識としていくつか本も読んだけど、小天体衝突という事態を想定していくつかの活動も行われている。

特に日本スペースガード協会は一般からも会員を募集しているので、興味のある方はどうぞ。

■日本スペースガード協会
http://www.spaceguard.or.jp/ja/

 

※1998年に発行していたメルマガ「DAMEDIA(だめでぃあ) VOL.3」に掲載したレビュー原稿を再編集して掲載しています。

美容ハツラツ!オロナミンC!

1997 年 1 月 31 日

なんでも時代は「オロナミンC」なんだそうである。

言われてみれば、ここ最近アカ抜けてきたし、態度もデカイ。
これもキムタクCMのせいなのだろうか。

いやいや、それもあるんだろうけど、この「C」というキーワードがクセものなのだな。

誰もが「ビタミンC」を思い浮かべる。

そのため、女の子なんかは身体にいいような気がすると飲んでいるという。
実際いいんだろうけど。

しかも炭酸飲料として、少なめの適度な量だし。
甘すぎないし、一番おいしい女の子の最適炭酸飲料だというんである。

これにはおじさんもビックリ。

なんたって、オロナミンCといえば、牛乳やウイスキーで割ったり、ときには卵黄を混ぜたり(Cセーキというらしい)、家族向け万能飲料だったではないか。

実際70年代のCMでは、それら「オロナミンCカクテル」なるものをアピールしていた。

そして、ここに登場していたのが大村昆だ。
まぁ、国民的野球団も集団で出ていたけど、最後には昆ちゃんも登場。

やっぱオロナミンCといえば、大村昆なのだ。

でも、最近はキムタクときた。
一体どーいうこっちゃ。時代は変わったもんだ。

もしもカロリーカットとか、お肌にいいコラーゲンやらビタミンBやら食物繊維なんかが入ったオロナミンCが発売されたら、これはOLたちの間で大ブームになってもおかしくない。

むむむ、恐るべしオロナミンCの底力なのだ。

 

※1997年頃にあった「オロナミンCコラム」コンテストに投稿した原稿。その後、実際に栄養価を高めた「オロナミンCロイヤルポリス」なども発売された。

南河内万歳一座「さよならオレンジ版〜百物語」

1994 年 2 月 23 日

夏の合宿やらキャンプなどで誰もが体験したことがあるだろう。

ひとつひとつお化けや妖怪などの恐い話を順番に語っていき、百回目の物語を語り終えたとき、何か恐ろしいことが起こるという「百物語」を。

物語は、ひとつ怪談話が終わるたびに1本1本ロウソクの火を消していった小学校の夏季合宿に始まる。

主人公は、その百番目の語り手。
そして、順番がやってきたとき、彼はこう語った。

「僕には人に語れるような物語がありません」と……。

内藤裕敬率いる史上最強・南河内万歳一座が、今回見せてくれたのは、90年に上演した「百物語」のリメイク版。タイトル通り、今月いっぱいでその幕を閉じることになった「阪急オレンジルーム(阪急ファイブ8F)」へのオマージュ的作品だ。

といっても、よほどの演劇通でなければ、この作品の持つ意味を理解出来ないだろう。というのは、このオレンジルームこそ関西における小劇場演劇ブームを本当に支えてきた唯一の劇場だったのだ。

最近では、扇町ミュージアムスクエアが関西小劇場の登竜門的空間として知られているけど、十数年前はオレンジルームがその役割を果たしていた。てか、そもそもオレンジルームしかなかった。

つまり、この南河内万歳一座をはじめ、古田新太らが所属する劇団☆新感線など現在活躍中の多くの劇団はオレンジルームを拠点に活動し、大きく育っていったというわけなんである。

ちなみに、オレンジルームがオープンしたのは78年。
文字どおり関西演劇界の80〜90年代を背負ってきた劇場だ。

南河内万歳一座は、過去11年間で本公演を13回上演。まさにオレンジルームは古巣のようなものだともいえる。

「最初の頃からオレンジでやってきたわけだから寂しいよね。どうしようも出来ないんだけど。でも、オレンジがなくなったからといってオレンジから出てきた芝居がなくなるってことはない。僕らはオレンジルームっていう六畳一間から次のアパートに引っ越すというだけ。もちろんいままで住み慣れたところだから、やっぱり懐かしいけど」とは、内藤裕敬氏の言葉。

また、だからこそ”引っ越し”がテーマである「百物語」を最後に上演するという。

もし、恐い話を百話語り終えると何か恐ろしいことが起こるというのなら、生活や人生や恋愛の話を百語り終えたときに、一体何が起こるのだろうか……。

きっとこの舞台では、オレンジルームで生まれた百の物語の次の未来が描かれるに違いない。

 

※1994年当時、Webマガジン「SURUMEDIA(スルメディア)」に掲載したレビュー原稿を再編集して掲載しています。